黒シャツに黒のパンツに黒のネクタイ。
そして足元は敬意を表してコンバースで日本のロックの神様、キヨシローさんのAOYAMA ROCK LIVEへ行ってきました。
余裕を持って一般弔問の始まる2時間前に到着。
そしてその近所でパン屋を営む元同僚の所でお昼を買い、公園にてはらごしらえ。
因みにその時
「来ると思った」
と言われました。
かなり行動パターン読まれてます。
でもいいの。
そんな彼女も
「店閉めたらダンナ(一緒にパン屋を切り盛りしている)と行こうかって話してたの」
との事。
流石、ダテにライヴでアバラ’(しかも数度)折ってないね!
以降、参列開始から終了まで実況中継メールしてました。
並び始めたのは12時半くらいから。
周りを見ると、上は50代くらいから下は(自分の意思で来ている人では)20代前後くらいが中心。
中にはベビーカー押して夫婦で参列している人もチラホラ。
そして果てなく続く長蛇の列。
最長8㎞だと帰宅してから見たネットニュースに出てましたよ。
そりゃ、開場までたどり着くまで5時間はかかるハズだよ。
でも不思議にあまり苦痛に感じなかったですよ。
確かに日差しは強くて、日向は暑くて肩から提げていたカバンは着々と肩にめり込んできて痛かったけどね。
それでも実際並んでいた時間よりも確実に短く感じましたよ。
そして陽も傾きかけた頃にやっと祭儀場に到着。
会場内にはウサギのバルーンとか、ポスターとか飾られてました。
先ずは前もって配られていた記帳カードを提出。
それと引き換えにポストカードをもらったんだけど、その写真が遺影と同じもので、はにかんだようないい笑顔でした。
そしてその後は献花場へ。
持参した花とかは献花場手前で一度回収され、そこで一旦まとめられてから別口で献花場へ持っていく様子。
献花場では一人一人にバラが手渡され、それを献花。
祭壇には紅白の横断幕が下がり、キヨシローさんが愛用していたオレンジ号とか、ギターとか遺品が遺影、位牌と一緒に飾られてました。
祭壇に飾られた花もキヨシローさんらしく、色とりどりのカラフルな花でした。
森本がキヨシローさんをちゃんと知ったのは丁度タイマーズでアルバムが発禁になったりと話題になっていた頃で、中学生っていう人間形成を一番される時期に聞いたせいか物凄く衝撃を受けたのを覚えています。
そしてそれまで聞いていた音楽とは歌い方とか、歌詞とか精神とかが全く違っていたしね。
反骨でロックなのにその歌詞の中身には愛情がありました。
今、RCの頃の曲を聴いても沁みるくらいに色褪せていないしね。
実際、アルバムもあんまり持っていないし、ライヴも復活ライヴ以外はイベントで見る程度だったけど、それでも自分の根深いところにずっと居続けてますね。
存在自体は大きくて絶対に手には届かない人だけど、それでも不思議に何処か身近な存在でした。
だからこそ復活ライヴはたとえ席がステージの真後ろでも、その場にいれるだけで嬉しかったし、今回もちゃんと「ありがとう」が言いたくて会場まで脚を運べたんだと思います。
これからもキヨシローさんは森本の中で、サイコーのミュージシャンで居続けます。
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